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モノ残しが繋ぐ臼杵の町残し

大分県臼杵市でのUターン移住生活も2年目を迎えましたが、やってみたいことがいろいろあり、未だゆったりできない日々が続いています。


そんな「やってみたいこと」の中でも「モノ残しが繋ぐ町残し」が臼杵でのライフワークの一つになるのではないかと最近感じています。「古いものをいい形で残し続ける」ということが私にとって価値あることに思えるのです。


私がこんなことをいうずっと前に、臼杵の以前の市長さんや映画監督の大林宣彦氏は「町残し」を提唱していました。詳細は以前書いたブログをどうぞ↓

映画監督・大林宣彦氏と大家さんが救った古民家。現在は私が運営する複合店舗「ケレシュ」

今回は臼杵市の町残しの姿と、私が1年住んで見えてきた「古民家あるある」についてご紹介します。美しい風景が残る臼杵市で古民家をリフォームして住みたい!と切望している方必読。モノ残しから繋がる町残し活動、臼杵市で一緒にチャレンジしてみませんか?


江戸時代の古地図がピタリ「町八町&二王座」!

臼杵の城下町は、16世紀のキリシタン大名・大友宗麟の「丹生島城」(現在の臼杵城址)築城に始まります。その後、1600年に美濃の国から稲葉氏が移封され、明治時代に廃藩置県が行われるまで、稲葉氏統治のもとで城下町が発展してきました。現在の町八町や二王座界隈は江戸時代からのもので、驚くべきことにその道筋などはほぼ変わっていません。その証拠を見たい方は是非臼杵歴史資料館へ。以前ブログでこの資料館について書きましたが、江戸時代の古地図と現在の航空写真が床全面に↓

昨年、床にへばりついて見たほど興味深い資料

とにかく現在の町八町や二王座のメインの通りと町割りがピタリと合うのです。しかしこの写真だけでは分かりづらいので、実際の道を見てみましょう。例えばこの道↓

「ブラタモリ」に是非来ていただきたい、曲線が魅惑的な二王座界隈

二王座と呼ばれる臼杵市でも人気の観光エリアにある切通し。

切通しとは山や丘を掘削して切り開いた道のことで、二王座界隈にはこのような道がたくさんあり、そのほとんどが江戸時代から変わっていません。

画になるスポット多し!

臼杵の景観を代表する、江戸時代から残る多くの道。臼杵市には景観条例があり、これからも永くこの美しい風景が保全されていくことになります。


一方、景観条例があるということは何でも勝手に建設することが難しいということでもあります。これから移住してくる方は自分の家がどのエリアにあるのか確認をし、外装などに手を加えるときには注意が必要です。


例えば、私の店舗がある掛町、隣接する浜町、横町の一部のエリアは「第一種保全区域」と呼ばれ、「外壁には年と共に風合いの増す素材を用いること」というような決まりが多々あります。


私が店舗を賃貸する時に管理会社の方が、

「景観条例が厳しいエリアなので、外装に手を加えたり看板を付けたりするときには相談してくださいね」

と一声かけてくれました。管理会社によってはそこまで言ってくれない(または市外の不動産会社だと知らない)というようなことがあるかもしれないので、町なかでの開業や、中古物件のリフォームなどを検討している方は要注意です。


臼杵城址の修復

大友宗麟から稲葉氏に続いた丹生島城。今は臼杵城址公園となり、春は桜の名所として有名です↓

県南のお花見の名所「臼杵城址」

実はこの臼杵城址の風景、私の子供時代からは大きく様変わりしています。

例えば現在お城の入り口にはお堀があるのですが、昔は入場する為に渡る橋の両側に四角く囲われた「池」程度のものがあり鯉が泳いでいました。そして現在の大手門公園にはパチンコ店やらいろいろなお店がずらりと並んでいたのです。それらの姿は昭和時代に形成されたもので、写真に残る明治時代の臼杵城址は、現在の風景のほうに近いのです。

つまり、臼杵市が何十年もの歳月をかけて市民と話し合い、立ち退きを要請し、復元の努力をしてきたのです。


加えて、写真に見られる白壁。これは私の子供時代(昭和50年代)にはないものでした。

白壁のあたりにはウドがたくさんあって命がけで摘んでいるオバチャンもいた子供時代

白壁の所には草がボウボウに生い茂り、緑色の金網を張り、人が落ちないようにしていたのです。

そして平成時代に大門櫓も復元を果たし、今のような姿になりました。

子供時代の馴染みとは大きく変わって寂しい気もするのですが、明治時代の写真と比較すると、臼杵が未来へ残すべき臼杵城の姿はこれだと思うことができます。


もはや復元できないもの「堀川」

残せなかったものについても書いておきましょう。

私が生まれた昭和48年には既に無かったのですが、多くの方の記憶に残っているのが「堀川」です。フンドーキンの中須賀工場の前に富士甚商事のガソリンスタンドがあります。その場所から大分銀行裏手にある市営駐車場手前の「ろうきん」(下の写真)のところまで、堀川があったのです。つまり、唐人町の裏手と市立図書館や稲葉家下屋敷の間が川(運河)だったのです。

黒い車からろうきんに向かって臼杵川までの数百メートル堀川があった

もちろん江戸時代の古地図にもあり、当時はお城への物流を担っていた運河だったのでしょう。そして、観光交流プラザで発見した昭和20年の地図にも堀川は載っています↓

私の実家は現在唐人町だがこの地図だと新町。謎が謎を呼ぶ古地図

整体に来られるお客さまの中でも特に60代以降のお客さまにはこの風景が記憶にあり、「台風の時にはたくさんの舟が波よけに来ていた」とか「八坂神社に行くのに(現在の市営駐車場まで)ぐるっと迂回するのが面倒だったので舟を渡って向こう岸に行っていた」というノスタルジックな話を聞くことも。


下屋敷をバックにした堀川の写真を以前図書館所蔵の本で見たことがあります。おそらく明治時代のものだったと思うのですが、その風景は美しいの一言に尽きます。なぜこの堀川を昭和39年に埋め立ててしまったのか?今となっては謎であり残念でもあります。今度その理由を市役所の人に聞いてみようと思います。


古民家あるある

最後にこれから臼杵市に移住して古民家を購入(又は賃貸)しようかと検討中の方に、私の経験談を少し。


古民家で暮らすということは、イヤな面を先に言うと「隙間風と虫との戦い」です。

「屋内なのに風が吹くと落ち葉が舞う」。これが古民家なのです↓

なぜ部屋に落ち葉が?隙間から少し入り込んだ蔦が枯れた結果か?

古民家に住もうと思っている方は、ぜひ真冬の強風吹き荒れる中物件見学にお出かけください。隙間風がどこから発生しているのか、床の冷え具合などの確認も併せてどうぞ。


一方、古民家の夏は快適です。特に1Fの北側の部屋はひんやりとしています。昨夏私は睡眠時に一度もエアコンを使いませんでした。夜も熱を保つ都会と比べ、臼杵市は夜になると温度が下がります。扇風機一つで快眠できるのは女性にとってはありがたい限りです。


そして心臓に悪いのが虫。昨年の秋、

「人間は本当に驚くと『キャーッ』とは叫ばない」

という真実を体感しました。手のひらよりも大きな蜘蛛に遭遇したのです。その時の私は「アワワワヮヮヮ~」という不気味な声を発し腰を抜かしてしまいました。這う這うの体で殺虫剤と冷凍スプレーを両手に持ち、何とか巨大蜘蛛を仕留めるのに成功。父Y雄・74歳が処理にやってくるまでの数日間、私は巨大蜘蛛の死骸と一つ屋根の下、生きた心地がしませんでした。


こういった経緯もあり防虫には気を使っています。今のところゴキブリは居ませんが発生しないように薬は定期的に置いています。移住検討者には、リフォームをかけるときにシロアリのチェックはもちろん、虫が入ってきそうな隙間や排水溝の隙間などを埋めまくることをお勧めします。町なかでは見ませんが、山のほうではムカデも家に入って来るそうなのでお子さんのいるところは薬を撒くなどの注意が必要です。


そうこうして古民家の不便と戦うこと1年。部屋も工夫を重ね暖かくなり、落ち葉も最近は見ることなく、虫にもかなり気を使っているので住み心地が格段に良くなってきています。


移住検討者には是非臼杵の古い家・空き家をリフォーム利用していただき、古い物をよい形で残し、一緒に臼杵を魅力ある町にしていけたらと思っています。

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