「そこに住んでいるとなかなか行かない場所」というスポットが誰しもにあるでしょう。
東京の人にしてみたら東京タワーみたいなところです。
そして、ここ臼杵市中心街に住んでいる私にとっては「仏舎利塔」がそれです。
今日は、約40年ぶり(!)に訪れた臼杵のランドマーク・仏舎利塔について書いてみたいと思います。
2025年で満50周年!臼杵のオリエンタルスポット
「臼杵仏舎利塔」は1974年4月8日に落慶大法要(寺社の新築又は修理の完成祝い)が行われていて、1973年生まれの私とはほぼ同い年。つまり、物心ついた時から景色の中にあった建物なのです。
電車で大分方面から帰って来るときなどは、ウトウト居眠りしても目が覚めて仏舎利塔が見えたら「次は熊崎か」という目安になるまさにランドマーク。
臼杵小1、2年生時の数回ある遠足では、目的地の一つが仏舎利塔でした。当時は徒歩で諏訪地区から上っていたので今回初めて知ったのですが、車でそのまま行ける道があるのです。
あれだけ大きな仏舎利塔の建設には作業道路が必要なので、当たり前といえば当たり前です。今回75歳・父Y雄の運転でその道から仏舎利塔へ行ってみました。
約50年臼杵で生活をしていたY雄ですが、一度も仏舎利塔に行ったことが無かったという事実がこの日判明。この車道は近所のおいさんSちゃんに聞いて二人で「どこだろう?」と探索しながら進みましたが、看板もあって凄く分かりやすい↓
「こりゃ歩いたら結構しんどいね」とY雄の運転に感謝した急こう配の坂が左折後すぐに現れます。
しかしこの坂も延々続くわけではなく、結構すぐ終わって左手に日本山妙法寺の道場が見えてきます。仏舎利塔は道場とは逆の右側に。
木々を抜けていざ、オリエンタルワールドへ
子供の時は仏舎利塔の周辺は草が生い茂っていた記憶があるのですが、現在はかなり整備されていて虫嫌いの私でも快適にその風景を楽しむことができました。
木々を抜けると、この景色!
子供の時も感じていましたが、仏舎利塔の第一印象は「ケーキ」です。当時、美味しそうなケーキに見えていたし、大人になっても美味しそうに見えます。
煩悩を抱えたまま見学を進めましょう。
このオリエンタルな建物には東西南北に仏像が配置されています。これにはそれぞれ意味があって、上の写真の仏像(東)はお母さんのマーヤーの右脇からお釈迦様が生まれて7歩歩き「天上天下唯我独尊」と言った様子を表しています。
そしてこちらが南向きの正面にある仏像↓
お釈迦様が初めて説法を行った様子(初転法輪)を表していて、正面から祈りをささげる人に向かって説法をしているようにも見えます。ありがたい。
ぐるりと回って西向きにあるのが涅槃仏。
そして、北向きにあるこの仏像の意味が分からないのです。
これまでの3像は何かしら金色で彩られていましたが、こちらは石像のみ。しかも合掌。
合掌=礼拝なので、もしかしたらスタートはここからだったのかもしれません。山を登って最初に見るのがこの像なら「さあこれから祈りの時間ですよ」という心づもりをする場だったのかも。
藤井日達上人と大岡實建築研究所
この仏舎利塔を語る上で外せないのが、日本山妙法寺の山主・藤井日達(にったつ)上人。
臼杵市の法音寺で1903年に出家し、その後インドに渡りマハトマ・ガンディーとも交流がありました。第二次大戦後、インドから贈られた仏舎利(お釈迦様の骨)を収めた仏舎利塔を出身の熊本県に建立したのち、第二次大戦後には国内各地に平和祈念としての仏舎利塔を数々建立します。臼杵市の仏舎利塔もその一つなのです。
この仏舎利塔、設計したのは名だたる寺社を手掛けた大岡實建築研究所。浅草寺本堂、増上寺大殿などが挙げられます。また別府にある仏舎利塔も手掛けていますが、形状がかなり違います。臼杵仏舎利塔と似たデザインは実はなかなか見られません。唯一似ているのが石川県金沢市の仏舎利塔。大岡實建築研究所のHPでも触れられているので一度覗いてみてください。
私も全く知らなかったのですが、留学時代を過ごしたロンドンにも仏舎利塔があるのです。しかもテムズ川のすぐそば。今度買い付けでロンドンに行った時はぜひ見に行こうと思います。
静かな自然の中で平和な臼杵を眺める
今回、初めての仏舎利塔訪問だった父Y雄。その眺めを堪能していました。
仏舎利塔はぐるりと周回でき、津久見島が浮かぶ臼杵湾や、上の写真の末広地区の田園風景が一望!なかなかの展望なのです。
今度は別府の仏舎利塔を見いこう、と言っていたので月末にまた仏舎利塔ツアーに行く予定です。
移住者はもちろん、臼杵市民でも「最近仏舎利塔とか行ってねーのー」という方たちはぜひ訪問を。8日(火)の朝は全く人がいなかったのでコロナも気にせず快適に散策できますよ。
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